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Central Europe 2010 ブログトップ

アウシュビッツ [Central Europe 2010]

 アウシュビッツ・ビルケナウでは英語での公式案内グループに参加した。国際色豊かな参加者は13名に制限されており、ポーランド人のガイドが英語で約3時間弱にわたり案内しつつ説明してくれた。その説明を思い出しながら書いていく。

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 アウシュビッツは、ポーランドの古都クラクフ近郊に位置する。もともとポーランドはユダヤ人が多く、クラクフも例外ではない。いかに効率的にユダヤ人をドイツ占領下の各地域から輸送し極秘下に殺害するかという観点からのみ収容所は設計されている。

 アウシュビッツに代表される絶滅収容所と医学とは密接な関係にある。列車で輸送されてきたユダヤ人は1人20kgの家財を持ち出すことが許されていた。この20kgは自ら取捨選択した貴重品の束に他ならない。まず、貨車を降ろされたユダヤ人は、これを取り上げられた。そして数日にわたる密閉された貨車での移送で多くの同乗者が死亡する異常な状況の中で、到着後すぐ熱いシャワーを浴びる事を約束されていた。貨車を降りた彼らが隊列を乱さなかったのは、わずかにシャワーをあびる希望が残されていたからだという。

 最初に彼らの選別をするのは医師である。労働力として有用であるなら右へ、そうでなければ左へと隊列はわけられた。片方はそのままガス室へと送られた。ガス室にはフェイクのシャワーが設置され、そこからは湯のかわりに有毒ガスが噴出した。
 もう片方も過酷な運命をたどった。生存者の多くは、到着が赤軍による開放近くであったか、環境の良いキッチン等で働くことの出来た幸運な者達だけだった。また医学研究のモルモットとして、たとえば双子などは比較的長く生きながらえることができたが、多くは不可逆的な障害を残した。実際、子供と母親が引き離されることは少なかったが、これは温情からで全くなく、引き離すと混乱が生じ”作業効率”が低下するためであったという。。。

 ユダヤ人以外にも、戦争捕虜、ポーランド人・ドイツ人政治犯、ジプシー、ホモセクシャル等々も絶滅収容所では処刑対象となった。当初は収容者の登録が官吏により行われていたが、移送される人数が増加するとそれもされなくなった。この点からも、150万人という犠牲者数は推計にすぎないという歴史修正主義者の主張が導き出されるのだろうか。だが、現地を直接訪ねてみれば、その規模、展示内容、人々の表情などから、空前の大量虐殺が真実味を帯びてくる。
 
 アウシュビッツは、負の遺産を展示する博物館であるが、実際は喪われた150万の墓標である。河川が収容所近くを流れており、そこへ焼却された灰は投棄された。残された建物、草木、土、あるいは空気にいたるまで、150万の断片が組み込まれている。1日、クラクフに帰るまで、咽の渇きさえ癒す気になれなかった。
 
 1940年代、自分の親族が、突然消えてしまい誰も行き先をしらない。精力的に付設研究所が活動しているが、赤軍による解放前、SSにより証拠隠滅がはかられたため、未だにアウシュビッツの全体像は把握されていない。登録された記録がなく、失踪した事実だけ残された方々も多い。
 特に、収容所でも最悪の衛生状況だった排泄物処理場から生還した者は皆無であり、遺構だけが残されている。150万の人々がヨーロッパから突然消え、ようやく戦後になって噂に過ぎなかった絶滅収容所の存在が公になったのである。

 現地には中学・高校生の姿も多かったが、さすがに小学生はいなかった。ユダヤ人(オーソドックス)やドイツ人もいた。65年の歳月を経て、くったくの無い笑顔が入場前の彼らには浮かんでいた。だが、さすがに見学の途中にそれは消えた。数トンに及ぶ女性の髪の毛、眼鏡、皮の旅行カバン、義足、革靴。確かに150万人が移送され、身ぐるみ剥がされ、そして殺されたことが、ひしひしと滲みてくる。

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 現在、アウシュビッツへの交通の便は決して良くはない。最寄までダブリンやミュンヘンから飛行機を使っても、そこからバスで90分ほどかかる。旧収容所近くにはポーランド人が生活している。近郊の古都クラクフの旧ユダヤ人街は、歴史的モニュメントとして保存されている一方で、華やかなクラブやパブも多い。

 未だに衝撃は衰えていないが、それでも時間は過ぎ行く。


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  • 発売日: 2002/11/06
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夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録

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Buda&Pest. Foods and drinks during my travel. [Central Europe 2010]

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ブダペストでのフォアグラの焼肉。1kg=4500ft(=2300円)。フランスの10分の1位らしいです。5名で食しました。潰したて新鮮なフォアグラの味。香ばしい油。。
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BudapestのBackpacker。
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オーストリア鉄道の車中。ミュンヘン→インスブルック(19ユーロ)、インスブルック→ヴィーン→ブダペスト(39ユーロ)。あわせても58ユーロしかしません。欧米人向けのBackpackerは高くて1泊13ユーロくらい。
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中欧はケバブ屋が多い。これはヴィーンで購入したので5ユーロと高い。フォアグラ150グラムと等価。ビールはスーパーで1ユーロ未満。物の値段感覚がおかしくなる。
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My Travel in the Middle Europe. [Central Europe 2010]

Quickly, time goes by. Now I am still sitting in an airport for waiting my flight to Tokyo. I had done my task, carrying a huge computer and a display to Austria. Then I have started my travel.

About 10 years ago, there were some Japanese backpacker and most of them were male. But now a day, everything around backpackers has been dramatically changed. Honestly speaking, several cities in Europe have youth hostels only for Japanese backpackers. They provide us lots of opportunities to know other backpackers…. Can you understand what I mean? Everything is gradually changing and then I have to move forward to somewhere. During this travel, I have met lots of impressive people, such as a Japanese independent buyer for European items, a former French chef, a Japanese photographer and a pianist practicing in Budapest.

In this time, as I wrote in advance on this blog, I traveled to Middle European Countries. According to the Lonely Planet, it consists of Austria, Switzerland, Germany, Hungary, Poland and some other countries. Two months ago, my client asked me to transport his priceless computer to Australia without any risk to be broken or lost. So, we thought seriously the best way of how to transfer it. Finally, we had an idea. That means I carried it to Austria by myself and put it inside the laboratory. In fact, the idea was well accomplished and also I have enjoyed my travel after putting it.

Now, I am remembering my travel in the internet café located in an airport. Actually, I am just a poor medical student, while my tuition is extremely expensive. The best way to reduce my travel cost is my quick moving to the East after putting his computer in Austria. It is definitely true that Austria is a very beautiful but also expensive country. Only for 2 days, I strolled in towns among Austrian Alps. It was still a little bit colder than Tokyo, but I was very lucky due to much sunshine and useful transportations such as a cable car from the bottom to top of the Alps. Especially, Innsbruck was an amazing old capital in Tirol where has historical background and one of the best ski resort in Europe.

Unfortunately, in this travel, I skipped my stay in Vienna due to their highest price. However, it might be famous that Zurich is a sort of the most famous party city in Europe. This is why Google has its European Headquarter in there, while it seems like not useful to gather the smartest IT specialists from the entire Europe.

Still I have a time until my flight….. I am fed up with waiting but this is why my air ticket was much cheaper than average. Huuuuuu!!

From here, I can not connect to the Facebook and Twitter. In addition, Google is now moving its regional headquarter to Hong Kong against the Chinese governmental censorship. According to the Guardian, the past building of Google has received some flowers with sympathy from Chinese citizens. Chinese government should try to scrap the Great Walls, though I can guess their attitude since China has various people and their economical difference is still widening..

I have to go the gate!

旅に出る [Central Europe 2010]

 学期末試験完了。結果発表も終わり、実家で家族会議、引越、調査、クラスメートと焼肉、政治家(親友?)と飲み、以上が終わったら旅に出る予定。

 密かにヒマラヤを目指してもいた12月からの減量(メタボ体策)は、3ヶ月で10kg減。周囲から、「癌じゃないか?」と言われる始末。BMIは23ちょい。まだ体重は最盛期より8kg近く重い。ジムで1週間に3日、各5km走れば誰でも痩せるとは言わないが、幸いなことに脂肪がガバッとおちたみたい。もともと不摂生すぎたんだろう。

 この春休み。正直、無謀にもチベットをからめつつヒマラヤでのトレッキングを考えていました。そのための体力回復をかねた減量だったので、結構まじめに取り組んだんですが、やはり危険すぎるか。数千万を親父から借りて私立医学部に運よく拾われて、結局トレッキングで行方不明は親不孝の極地だろう。

 それでも遠い昔、カシュガル近辺から中国人トラックの荷台に乗せてもらって、当時建設中だった某鉄道の工事現場経由でチベットに入った記憶はいまだに忘れがたい。当時でも完全に非合法だったのかもしれないが、辺境のトラックのお兄ちゃんも私もそんなこと全く気にも留めていなかった。

 この春は”隣人”が働く中欧で過ごすことにしました。その期間の住居はサブレットに出す。予算をさらす。
 
 航空券: 羽田発、北京経由、ミュンヘン着の中国国際航空往復で6万8千円(燃油、税込み)。
 滞在費: だいたい10万円/2週間ぐらい??

 私の眼から見ても彼は優秀(に見える)。英文で論文を書きつつ、有給で中欧で研究することになった。世の中には極めて高い知能指数が前提となる領域もある。数学と物理がものをいう世界。本当に勘弁してくれというくらいに圧倒的に生活力がないのは、頭が良すぎるからしょうがないのか。まったく可笑しいことに、暇な私が主導し引越しの算段をしていたのだが、当人が4月まで赴任できない事情が立ち上がった。春休みは全て空けて東京、実家、中欧の引越し調整役のはずが宙ぶらりんに。。。これを好機に(彼は平謝りだったが)彼の荷物の受け渡しをからめつつ中欧を旅しようと思う。

 バンコク、東京、北京、ミュンヘン、インスブルック、ザルツブルグ、ウィーン、ブタペスト、アウシュビッツ。ポーランドは次回にまわし、ボスニア、クロアチアを含むバルカン半島に足を伸ばすべきか迷う。ボスニア(サラエヴォ)のスナイパー通りを歩いたら、個人的にきっと色んな意味で月日の移り変わりと平和の有難さを感じることができると思う。

 また、貧乏旅行の季節がやってまいりました。
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